私は2000年10月当団地に入居しました 51番目の入居です
会社退職後の終の棲家を物色しており、首都圏を中心に10か所前後資料点検、物件視察をしていました
その折新聞紙上で当団地の広告があり、検討の上体験宿泊を実施し、既住民の方の意見も伺いました 又近隣長老住民に土地構造、開発業者の工事状況、ナショナル住宅責任者の構想等も伺い決定しました
当時は半分以上更地で荒涼とした開発状況でしたが入居者も増え、皆さんの熱意で年々開発構想に近づく環境になってまいりました
自治会活動では管理組合から自治会への移行準備委員、平成22年(副会長)、23年(会長)をさせて頂きました 主な活動内容ではTVのデジタル、衛星放送化でTV共同アンテナ撤去をパナホームと交渉、中央公園自治会管理を函南町管理移行へ、自治会下水浄化槽管理を函南町公共下水道切り替えへの組み入れ、工事年度決定約束を取りつけ、且つ各戸下水道接続費用平均約¥5万円強免除交渉を勝ち取り、令和2年4月1日完全移行となりました
さて、私の故郷は大分県臼杵市で現在人口4万人弱です
臼杵は大友宗麟、稲葉の殿様居城、城下町であり、深田の里には臼杵石仏(魔崖仏)国宝「大日如来」、古式泳法「山之内流」、ウイリアム・アダムス漂流の地、黒島も史跡としてあります
父は臼杵小学校の教師をしていましたが、太平洋戦争が始まり昭和18年末より戦況悪化に伴い昭和19年2月応召され、硫黄島に赴任しました
ご存じの通り同島は栗林中将の指揮の下、太平洋戦争一番の激戦地となりましたが昭和20年3月17日激戦に終止符を打つことになります 従って父の死亡は玉砕日3月17日です
享年42歳、陸軍大尉 残念ながら未だ遺骨は返っていません
ご存じの様に硫黄島は東京都に属しますが都が自衛隊に管理を委託しており一般国民は渡島出来ません 私は政府、硫黄島協会主催慰霊式典に遺児として申し込み 硫黄島慰霊参拝に5回行きました
遺骨収集作業、日米合同慰霊顕彰式典2回他2回です
母は5歳の私と2歳の弟を再婚せず苦労して育ててくれました 感謝の念で一杯です
私は社会人となり、大阪、九州(福岡)、東京と転任し、上記入居時退職して函南で約25年過ごしています
退職後は登山をしたいと夜間のシニア登山教室に2年通い、最近まで約200山(内百名山60以上)仲間と登りました
その経験を活かし、団地ハイキングを企画、皆さんと12回ほど近隣地でのハイキングを楽しみました
又妻がSERVAS(国際親善の会)に入会していましたので海外のホームステイも数回しました
妻は犬が好きでヨークシャーテリア・Gemmy(ジェミー)を可愛がり家族同然17年8か月の生活を共にして 癒してくれました
団地ゴルフ会にも20年間参加、皆さんと親睦を深めました
又56歳で習ったテニスは当地の任意クラブに入会し、現在も楽しんでいます
その他植木教室、男の料理教室、健康体操(現在も継続中)にも通い老後に備えました
硫黄島摺鉢山
父所属混成歩兵311大隊壕前墓標
ヒューマンヒルズ函南ハイキング 湯本より旧東海道東側、元箱根まで
愛犬ジェミー
